五月二日。新緑が目にまぶしい散歩道の終わりに、私は一羽のキジバトと出会った。 道路の真ん中でうずくまるその姿は、まだどこか幼く、クチバシの形がそれが巣立ちを目前にした幼鳥であることを物語っていた。おそらく、風に煽られたか、羽ばたきの練習中に巣から落ちてしまったのだろう。 そのままでは、通り過ぎる車に無機質に潰されてしまうのを見たくなかった。私はその小さな体をそっと拾い上げ、道端の安全な場所へと移した。 「喉が渇いているのではないか」 そう思い、家から水を汲んで戻ったが、幼鳥は水を見つめるだけで、一口も飲もうとはしなかった。ただ、よちよちとおぼつかない足取りで、生きたいのか、隠れたいのか、必死に地面を踏みしめていた。 その夜、季節外れの強い風が吹き荒れた。 翌朝、胸騒ぎを覚えて庭へ出ると、そこには昨日の幼鳥の姿はなかった。代わりに、庭一面に点々と散らばる柔らかな羽。木陰には、かつて命であったものの断片がわずかに残されていた。 夜の闇に紛れて、猫か、あるいはアライグマに襲われたのだろう。 あんなに健気に地面を歩いていた命が、一夜明ければ文字通り「霧散」している。その光景を前にして、私は不思議と、悲しみよりも自然の持つ圧倒的な「合理性」に打たれた。 自然界は弱った個体の存在を許さない。他の命の糧となることで、速やかにその場から消し去られ、自然の循環の一部に組み込まれていく。死骸という生々しい結末を私に見せることなく、自然は淡々と、そして完璧にその「掃除」を終えていたのだ。 幼鳥の死を直視せずに済んだことは、私への救いだった。 けれど、あの時差し出した水に口をつけなかったのは、もう彼がこの世界から旅立つのを覚悟していたのではないかと思った。 残された羽を風がさらっていく。 五月の風は、何事もなかったかのように、今日も新緑を揺らしている。
ひと月ほど前、喉の痛みから始まり、鼻水や咳、痰といった典型的な風邪の症状に悩まされました。かかりつけの耳鼻科を受診すると、いくつもの薬が処方されました。抗生剤が含まれているため下痢になることがあるとのことで、整腸剤も一緒に出されました。数日もすると風邪の症状は落ち着き、ようやく楽になったと胸をなで下ろしました。 ところが今度は、お腹の具合が悪くなりました。食事をするとすぐにトイレに行きたくなり、腹がごろごろと鳴ります。まるで口と腸が直結しているかのような妙な感覚で、外出するのも気が重くなりました。近くの内科で診てもらいましたが、処方されたのはやはり同じ整腸剤。医師の言葉を信じて飲み続けましたが、一向に改善する気配はなく、次第に不安が募ってきました。 そこで思い切って、別の医療機関を受診することにしました。いわゆるセカンドオピニオンです。インターネットで近隣の医院を調べ、いくつか候補を絞りましたが、最終的にはホームページの分かりやすさで選びました。診療内容や方針が丁寧に説明されているかどうかは、安心して受診できるかの判断材料になるものだと感じました。 受診した日は朝から激しい雨でしたが、天気予報どおり午後には雨が上がり、青空がのぞきました。初めての医院でしたが、マイナンバーカードを使った受付は簡単で、手続きの簡素化を実感しました。待合室には数人の患者がいましたが、見渡すと皆高齢者で、どこか静かな時間が流れていました。 やがて診察に呼ばれました。ホームページで見た写真よりもずいぶん年配に見える医師が座っており、少し驚きました。医師は資料を見ながらこれまでの受診歴や処方内容を確認し、率直に意見を述べました。以前かかっていた医師の専門や処方についても言及し、なるほどと納得させられる説明でした。 肝心の下痢について相談すると、食後すぐに便意を催すのは体の自然な反応であり、便が緩くなっているために起こる現象だと説明されました。特別な病気ではなく、整える薬を使えば改善するとのことでした。また、緊張によって下痢が起こることもあるため、その場合に備えた薬もあると教えてくれました。専門的な視点から無駄のない説明を受け、ようやく腑に落ちた思いがしました。 さらに話は、長年服用していた血圧の薬に及びました。現在ではあまり使われない種類であり、見直した方がよいのではないかという助言でした。専...