この季節になると、庭には次々と草が生えてきます。少し放っておくだけで伸び放題になってしまうので、草刈りはなかなか大変です。私も毎年、「また草刈りか」と気が重くなります。 先日、散歩の途中で、いつも立ち寄る神社の境内で草刈りをしているご夫婦を見かけました。こういう方々がいるから、神社はいつもきれいに保たれているのだなあと感謝の気持ちが湧きました。 しばらく眺めていると、不思議なことにお二人がとても楽しそうなのです。イヤイヤ草刈りをしている私とは大違いでした。 そんな折、いつもお参りしている寺院の広報誌で、「遊ぶ」という題のエッセイを読みました。そこには、ある学生が禅宗の老師に「人生の目的とは何ですか」と尋ねたところ、老師が「ただ遊ぶんじゃな」と答えたという話が紹介されていました。 もちろん、好き勝手に遊び回るという意味ではありません。禅では、仕事も遊びも区別せず、目の前のことに無心に打ち込むことを大切にするそうです。掃除や洗濯、薪割り、畑仕事、読経に至るまで、すべてが「修行」であり、「動く座禅」なのだといいます。 好き嫌いや楽苦を超えて、今していることに全身全霊で向き合う。その境地を「遊ぶ」と表現しているのでしょう。苦労を避けるのではなく、苦労も含めて今この瞬間を味わい、楽しむ姿勢です。 人生は苦労の連続です。だからこそ、長い道中には「遊び心」が必要なのかもしれません。上機嫌に生きようと心掛けることで、不思議と物事も良い方向へ向かっていくのでしょう。 神社の境内で楽しそうに草刈りをしていたご夫婦は、まさにその境地に達していたのではないか。そんなことを思いながら、私も少しだけ草刈りへの向き合い方が変わった気がしました。
五月十五日、従兄弟の車で千葉へ出かけました。今回の旅で最も楽しみにしていたのは、初めて東京湾アクアラインを走ることでした。海底トンネルへ入り、その先の海の上に千葉まで橋が伸びていました。全長15キロを超える道路のうち、およそ10キロが海底トンネルだそうです。走行中「今、本当に海の底を走っているのだ」と思うと、不思議な気持ちと少しの不安が入り混じりました。このような建造物を考えて設計して作った人間がいたということに驚きを覚えました。 途中で立ち寄った海ほたるパーキングエリアは、想像していた休憩所とはまるで違っていました。まるで巨大なショッピングセンターのようで、多くの人で賑わっていました。屋上に上がると、東京湾が360度見渡せました。空と海がどこまでも続き、地球は丸いのだということを実感しました。 九時半には千葉へ上陸し、その後、笠森観音へ向かいました。山頂の大岩の上に建つお堂は壮観で、何本もの柱が建物を支えている姿に圧倒されました。京都の清水寺と同じ工法だそうで、急な木の階段を登ると、南房総の山々が一望できました。眼下には深い森が広がり、吹き抜ける風が心地よく感じられました。参道には「子授楠」や「三本杉」といった名木もあり、長い歳月を生き抜いてきた木々の姿に自然の力強さを感じました。 次に訪れたのは大多喜城でした。大多喜城は、大永元年(1521年)に徳川四天王のひとり本多忠勝が築いたことで知られる城です。天守閣は天保13年(1842年)の天守焼失しましたが、昭和50年(1975年)9月に復元されました。天守閣は立派で千葉の三名城(佐倉城、本佐倉城、大多喜城 )の一つになっているそうです。現在は修復中で天守には入れませんでしたが、展示室で千葉には数百もの城が存在したことを知り驚かされました。さらに、先祖が仕えていた菊間藩にも城があったことを知り、遠い歴史が急に身近に感じられました。 その後、誕生寺へ参拝しました。日蓮聖人御誕生の地に建つ大本山だけあって、本堂の彫刻は見事でした。細部まで施された彫刻を眺めていると、当時の人々の信仰の深さが伝わってくるようでした。近くには鯛の餌付けで有名な鯛ノ浦もありますが、今回は時間が足りず立ち寄れませんでした。またいつか訪ねてみたいと思いました。 帰りは浜金谷からフェリーに乗り、久里浜へ渡りました。途中でゆっくり食事をする時間がなく、...