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投稿

 初めてChromebookを外に持ち出して使ってみた。ポケットWiFiがないので、iPhoneのテザリングでやっている。文字を打つくらいなら特に問題ない。でも、通信ができないときに備えてオフラインで使う方法を調べている。どうやらTEXTというデフォルトのテキストエディタがあるらしい。ローカルにハードディスクもあるようなので文章をそこにためていくということが可能だと分かった。 今日は、白山道の白山神社のベンチで書いているが、散歩していると所々に公園があってありがたい。しかも、ほとんど人がいない。独り占めである。日本は平和だなあ、と思う。こういう小さな幸せが味わえる国が本当に良い国になのだろう。海の向こうでは、つまらないエゴが原因の戦争が始まっている。愚かなことだ。 お寺の和尚さんがこんなことを言っていた。 <放てば手に満てリ 一多のきわならむや> 道元禅師の正法眼蔵の一節だそうだ。執着を捨てれば真理が手に満る、全体と個の区別のない自由の境地になる。私利私欲だけでドローンで子どもたちを殺しているトランプは、どんなことを考えているのだろうか。
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中古のChromebookを買う

  ブックオフに行ったついでにハードオフを覗いてみたらASUSのChromebookの新しそうなものが売られていた。衝動買してしまった。10年以上前の機種だが何とか使える。ChatGPTやGeminiは使えないがブラウザは普通に使える。この日記もそれで書いている。快適だ。これからはChromebookを持っての散歩もありかなと思う。中国製だが良くできていると思う。中国を蔑んでいる人がいるがモノ作りは中国がダントツだ。尊敬に値する。 外で調べ物をするくらいなら十分な機能だ。電池もヘタってなく10時間も持つ。掘り出し物だった。7000円で買ったが、メルカリでは4000円で売られていた。定価は3万以上なので、まあ良いかと自分を慰めた。 それでネットサーフィンをしていたら、プレゼン用のレーザーポインターの安いのが見つかった。これもポチッとやってしまった。画面操作も出来るのでこれも優れものだ。2000円くらい。これからプレゼンの機会が増えそうだ。人に物事をどのように伝えるかを学んで行きたい。 元日本テレビアナウンサーの福澤朗氏のプレゼンはキャッチボールという言葉が心に残っている。考える、まとめる、表現する、伝えるということで物事は完結する。おもしろい。

ミニ集会 地域に潤いを与える「子ども食堂」

実は、私はつい最近まで「子ども食堂」という存在に対して、非常に冷ややかで懐疑的な目を向けていました。 「なぜ、わざわざ子どもに食事を配る必要があるのか」 「今の日本は、そんなに貧しい国になったのか」 そんな思いが拭えなかったのです。 私が青年期を過ごした昭和四十年代、日本は今とは比べものにならないほど、物理的に食べ物が不足していました。中学校の体育の時間、教室が留守の間に誰かの弁当が食べられてしまう――そんな出来事が日常茶飯事だった時代です。あの頃の子どもたちは、文字通り「腹をすかせて」いました。 だからこそ、飽食の時代と言われる現代に、ボランティアが食事を提供する光景が、どこか「偽善」や「子どもを出しにしたお遊び」のように見えてしまっていたのです。 しかし、ミニ集会で子ども食堂 (みち草CC) のお話をお聴きし、その考えは大きな間違いだったと痛感しました。 私が見ていたのは「昭和の物差し」であり、現代の子どもたちが抱える「飢え」の本質を見落としていたのです。 ■ 現代の孤独とコミュニティ かつて、私たちが「村」に生きていた頃、隣や親戚の家に入り込んで夕食をご馳走になることは、ごく自然な風景でした。 「子どもは地域で育てるものだ」という無意識の合意が、社会の中に確かに存在していたからです。 しかし都市化が進み、人と人とのつながりが希薄になった今、子どもたちは家の中で「独り」になっています。冷蔵庫に食べ物はあっても、誰とも会話をせず、一人で食べる食事。 それは、かつて私たちが経験した「胃袋の空腹」と同じくらい、あるいはそれ以上に切実な「心の空腹」なのではないでしょうか。 子ども食堂は、私たちが高度経済成長の過程で落としてきてしまった「地域コミュニティ」という宝物を、もう一度取り戻す場所なのだと思います。 ■ 支え合う喜び 子ども食堂で働いている方々のことをお聞きして、さらに考えが変わりました。 彼ら彼女らはお金のために働いているのではありません。子どもたちの「おいしい」という笑顔に励まされ、自分自身の居場所を見いだしているのです。 特にご高齢のボランティアの方々にとって、そこは「自分が必要とされる喜び」を実感できる、かけがえのない自己肯定の場になっているのです。 支える側も、支えられる側も、等しく満たされる。 これこそが、私たちが目指すべき「支え合って生きる社会」の理...

一隅を照らす・・・「何者」かになれなくても、あなたは誰かの光である

   毎日、満員電車に揺られ、山積みのタスクをこなし、気づけば外は真っ暗。そんな日々を繰り返していると、「自分は組織の歯車に過ぎないのではないか」「もっと大きな成果を出さなければ価値がないのではないか」と、ふと虚しさに襲われる夜があるかもしれません。  そんなあなたに、ある里山に住む九十歳のおじいさんの話を贈りたいと思います。  その里山のそばには、通勤の車や自転車が行き交う一本の道路があります。季節になれば大量の落ち葉が道を埋め尽くし、放っておけばスリップの危険もあるような場所です。しかし数年前から、その道はいつも驚くほどきれいに掃き清められていました。  ある早朝、その理由がわかりました。近所に住む一人暮らしのおじいさんが、誰に頼まれたわけでもなく、黙々と竹箒を動かしていたのです。  通りかかった人が、思わず尋ねました。「おじいさん、一円の得にもならないのに、どうしてこんな大変な掃除を続けているんですか?」  おじいさんは腰を伸ばし、穏やかな笑顔でこう答えました。「自分の健康のためにやっているんだよ。おかげでこの掃除を始めてから病気もしなくなった。落ち葉には感謝しているんだ。それに、道がきれいになれば、みんな気持ちがいいじゃないですか」  おじいさんは、特別な資格を持っているわけでも、社会的に大きな影響力を持つ立場でもありません。ただ自分のために、そしてほんの少し「誰かの心地よさ」のために、目の前の一歩を掃き続けていただけです。  平安時代の僧、最澄はこんな言葉を遺しました。 「一隅(いちぐう)を照らす、これすなわち国宝なり」  一隅とは、今自分がいるその場所のこと。スポットライトを浴びる大きな舞台ではなく、誰の目にも触れないような片隅であっても、そこを明るく灯す人こそが「国の宝」であるという教えです。  今の社会では、数字や役職、目に見える成果ばかりが評価されます。そのため、私たちは「もっと大きなことをしなければ」と自分を追い込んでしまいがちです。けれど、本当の尊さは、そんな派手な場所だけにあるのではありません。  職場のデスクを少し整える。 疲れている同僚に、温かい飲み物を差し入れる。 家族に「おかえり」と優しい声をかける。  そんな、履歴書には書けないような小さな「一隅」の灯火が、実は誰かの凍えた心を救っていることが多々あります。おじいさんが掃き清...

腎臓高血圧内科主催市民公開講座

 ・日時:2026年2月20日 14時~15時30分 ・場所:金沢公会堂 ・主催:横浜南共済病院 腎臓という臓器は、血液を浄化する装置。血液は一度腎臓を通って濾過されて老廃物や余分な水分が尿として放出される。腎臓が悪いかどうかはGFRという数値で分かるらしい。濾過する装置には糸球体というものが入っているらしい。病気になると、それが損傷する。そうなると尿に赤血球が漏れ出して血尿が出るらしい。タンパク質もでることがあるそうだ。腎臓は、無言の臓器と言われていて自覚症状がないので怖い。足のむくみや体重の急激な変化、だるさなどが出たときには、かなり症状が進んでいるそうだ。腎臓の初期の損傷を調べるためには、血液と尿の検査が必要らしい。血圧が高いと腎臓がやられるらしい。血圧も定期的に測っておいたほうが良い。酒は、飲みすぎなければ良いらしいが、飲まないに越したことはないそうだ。出来るだけ飲まないようにしたいものだ。一日に1.5リットルくらいの水を飲んだ方が良いそうだ。そんなに飲んでいるだろうか。肝腎という言葉があるが、 どちらも生命維持に不可欠な非常に重要な臓器である。大切にしたい。

▶2025六浦西地区推進連絡会参加報告

下記の通り連絡会に参加しましたので報告します。(廣瀬) ●  日時:2025年10月10日(金) 18時~20時15分 ●  場所:六浦地区センター体育室 ● 参加者:83名 福祉団体24、学校PTA8、自治会町内会44、区役所7 ●  司会: 三瓶かおり(六浦西地区社協事務局長)以下敬称略 1. 開会の挨拶  六浦西地区社会福祉協議会 会長 相川 元治 2. 金沢区長挨拶  金沢区長 齋藤 真美奈 3. 第5期金沢ささえあいプラン 地区別計画にむけて   金沢福祉保健センターこども家庭支援課課長 渡部 憲太郎 4. 六浦西で活動しているグループの活動紹介 ①みんなの交流スペース「むつら(六浦)」  放課後学童&多世代交流「むつらリバーわくわく」     NPO法人地域サポートマリン理事長 熊谷 美紀、 長瀬 美鳥 ②道くさc.c. (子ども食堂)  代表諸星佳代 ③登下校見守り隊 <インタビュアー:小林 康代> ・高舟台小 関澤守明 ・ 大道小 飯塚久典  ・朝比奈小 石川裕子  ・六浦南小 梅村晃 5.グループディスカッション 「六浦西地区のこれから5年を考える ~変える 変わる ちょっとずつ~」 この先5年(2026年~2031年)の地域を想像しながら、現状はどうなのか、どんなまちに住みたいか、 自分たちは何ができるのか、さまざまな視点で話しあいました。 ・進行:三瓶(地区社協)・内田(区役所)・吉田(区社協) 交流、防災、子育ての三つのグループに分かれて上記のテーマに沿って意見を出し合い、ポストイットに張り付けていきました。最後に、話し合いの結果を発表しました。 私は、交流のグループに入り議論を行いました。 【交流できる場所の整備】 ・周辺の文化や歴史を学べる高齢者のサロンを作る ・異世代でご飯を食べることが出来る場所を作る ・コンサートなどを聴きながら食事ができるおしゃれな場所を作る ・点在する里山を整備して子どもたちの遊び場を作る ・子どもたちが自由にボール遊びなどができる公園を整備する ・寺子屋塾を発展させて勉強だけでなく、昔遊びなどの伝承が出来るようにする 【イベントの活性化】 ・町内会・自治会の交流をもっと密にする ・遊びを通して異世代の交流ができる場を作る ・他の地域の方と交流できるイベント ・大学生と高齢者が協力して大ご...

▶認知症サポーター養成講座で感じたこと

高層ビル群の一角、池袋サンシャイン60。地上は賑やかな雑踏ですが、その広いセミナールームには、どこか静かで真剣な空気が漂っていました。雑司ヶ谷の鬼子母神にも近い場所で、「認知症サポーター養成講座」に参加しました。私も最近物忘れが激しく認知症についての不安もあり、もっと詳しく知りたいと思ったからです。 50人ほどの参加者の多くは、私と同じように認知症というテーマが自分自身でも身近になってきた年齢層の方々でした。講師は、手首にオレンジ色のブレスレット(オレンジリング)を光らせた、認知症とは縁のなさそうな、はつらつとした若い人でした。このリングが、「私は認知症の方を理解し、応援します」という印であることを後で知りました。 オレンジリングのロバ(ロバ隊長)は、「認知症サポーターキャラバン」のシンボルキャラクターだそうです。「認知症になっても安心して暮らせるまちづくり」のために、ロバのように急がず、一歩一歩着実に進むことを表しているそうです。 私たちはつい、「認知症」と聞くと、物忘れが激しく、徘徊、そして時に暴言や暴力といった「怖いイメージ」を持って蓋をしてしまいがちです。しかし、講師の言葉は、その蓋をそっと開けてくれるものでした。 「認知症そのものは『病気の名前』ではなく、病気によって現れる一連の症状の総称です。たとえばアルツハイマーやレビー小体病など、原因となる病気があるからこそ、記憶や行動の変化といった症状があらわれます。その行動の裏には、本人なりの理由や意味があり、症状を抑えようとする心の働きでもあるのです」 この一言で、私の認識が変わりました。彼らの行動には、「理由」がある。記憶や認知の力が衰え、世界が急に分からなくなってしまった故の混乱と不安が行動に出ていると知った時、恐怖心は、少しずつ和らいでいきました。 そして、講座は予防の話へ。予防、あるいは進行を遅らせるためには、使わないと衰える筋肉と同じで、脳を活性化させることが鍵だそうです。年を取ったら速く走れないのは当たり前。ゆっくり着実に歩けるように日頃から心掛けることが重要と言うことでした。 1. 笑うこと、楽しいことで、ドーパミンをたっぷり出す。 2. 人とのコミュニケーションを絶やさず、孤独にならない。 3. 役割を持ち、人の役に立つことをして生活を充実させる。 4. 褒めて、褒められて、自己肯定感を高める。...