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セカンドオピニオンは大切


ひと月ほど前、喉の痛みから始まり、鼻水や咳、痰といった典型的な風邪の症状に悩まされました。かかりつけの耳鼻科を受診すると、いくつもの薬が処方されました。抗生剤が含まれているため下痢になることがあるとのことで、整腸剤も一緒に出されました。数日もすると風邪の症状は落ち着き、ようやく楽になったと胸をなで下ろしました。

ところが今度は、お腹の具合が悪くなりました。食事をするとすぐにトイレに行きたくなり、腹がごろごろと鳴ります。まるで口と腸が直結しているかのような妙な感覚で、外出するのも気が重くなりました。近くの内科で診てもらいましたが、処方されたのはやはり同じ整腸剤。医師の言葉を信じて飲み続けましたが、一向に改善する気配はなく、次第に不安が募ってきました。

そこで思い切って、別の医療機関を受診することにしました。いわゆるセカンドオピニオンです。インターネットで近隣の医院を調べ、いくつか候補を絞りましたが、最終的にはホームページの分かりやすさで選びました。診療内容や方針が丁寧に説明されているかどうかは、安心して受診できるかの判断材料になるものだと感じました。

受診した日は朝から激しい雨でしたが、天気予報どおり午後には雨が上がり、青空がのぞきました。初めての医院でしたが、マイナンバーカードを使った受付は簡単で、手続きの簡素化を実感しました。待合室には数人の患者がいましたが、見渡すと皆高齢者で、どこか静かな時間が流れていました。

やがて診察に呼ばれました。ホームページで見た写真よりもずいぶん年配に見える医師が座っており、少し驚きました。医師は資料を見ながらこれまでの受診歴や処方内容を確認し、率直に意見を述べました。以前かかっていた医師の専門や処方についても言及し、なるほどと納得させられる説明でした。

肝心の下痢について相談すると、食後すぐに便意を催すのは体の自然な反応であり、便が緩くなっているために起こる現象だと説明されました。特別な病気ではなく、整える薬を使えば改善するとのことでした。また、緊張によって下痢が起こることもあるため、その場合に備えた薬もあると教えてくれました。専門的な視点から無駄のない説明を受け、ようやく腑に落ちた思いがしました。

さらに話は、長年服用していた血圧の薬に及びました。現在ではあまり使われない種類であり、見直した方がよいのではないかという助言でした。専門外であっても率直に意見を伝えてくれる姿勢に、医師としての経験と責任感を感じました。

診察を終え、薬局で薬を受け取る際にその医師の年齢を尋ねると、八十歳近いとのことでした。地域には九十歳を超えてなお診療を続けている医師もいると聞き、驚くと同時に、長年積み重ねてきた経験の重みを思いました。

医療は新しさも大切ですが、経験に裏打ちされた判断の確かさもまた、患者にとって大きな安心につながるものだと、今回の一件でしみじみと感じました。

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