暖かくなった。いつもと逆のコースで釜利谷を歩いてみた。大道東橋からダラダラ坂を上って道路工事をしているあたりを下る。白山道のトンネルを超えると畠山六郎重保の墓がある。板東武者の鑑と言われていた畠山重忠の息子である。重保は、この地に逃れて自刃したという伝承があるが、六郎橋という名前が残っているので、生き延びてしばらくこの付近に住んでいたのではないかと私は考えている。
この辺りには、「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」の太田道灌の山吹の里の伝承もある。
退屈な車道をずっと歩くと宮川のほとりに手子神社がある。ここも伊丹氏の創始で、境内に竹生島弁財天社がある。もともとは海側にあったが、海軍が現在の山側に移した。やぐらに人面蛇体の宇賀神が祀られていて、いつも卵が奉納されている。宇賀神は、お金儲けの神様で、鎌倉の銭洗財弁天も宇賀神を祀っている。
手子神社の狛犬がほほえましい。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の姿だが、今やったらパワハラと言われそうである。
手子神社の前を流れる宮川にはクロダイが泳いでいた。噂によると温暖化の影響で川を上ってきているのだという。侍従川にもたくさん泳いでいる。野島の海苔が食害にあっているという話を聞いたことがある。刺身にしたらうまそうなクロダイだ。
宮川の上流は、釜利谷町小川アメニティとして整備されている。団地に隣接する水路が、親水性あふれるプロムナードとなっている。人工的な水路だが、アメンボや小エビ、カワニナなども増えており住民の憩いの場になっている。途中に田んぼや蓮田も作られており昔の釜利谷の原風景を見ることができる。
小川の終着点あたりを右に曲がると禅林寺がある。静かな良いお寺だ。このお寺は、道元の曹洞宗。禅寺というものはこのようなものかもしれない。たぶん、浄土真宗とは違うと思う。
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