2018年に高畑勲が亡くなった時に追悼で放映されて以来、7年ぶりに『火垂るの墓』をテレビで観ることができた。1945年、私が生まれるわずか10年前の出来事だ。このアニメがなかったら、日本がかつてそんな状況にあったとは知らなかったかもしれない。平成生まれの子どもや令和生まれの孫たちにとっては、まったく想像もできないことが、同じ日本の地で確かに起こっていたのである。
戦後生まれの私には、戦争の記憶はない。父も多くを語らなかった。叔父がシベリアに抑留されていたので、その話をわずかに聞いたくらいだ。とはいえ、叔父も悲惨な話は避けた。代わりに「馬糞を間違えて食べた」とか「電気ケーブルを溶かしてスプーンを作った」といった、どこか笑ってしまうような逸話を語っていた。
幼い頃の記憶の中に、横浜へ向かう途中の大岡川沿いに焼け焦げた黒いものが残っていた風景があった。おそらく5、6歳のころだ。子ども心に「汚くて嫌だ」と感じたその景色は、長い間そこにあったように思う。今では桜が植えられ、花見の名所となっているが、あの黒いものは戦争の残骸だったのかもしれない。
家の裏には防空壕が残っている。朝鮮の人に頼んで掘ってもらったものらしい。6畳ほどの広さで、夏でも20度ほどに保たれ涼しいので、電気を引き込み、本を読む場所として使っていた記憶がある。別の山の斜面には「みかん掘り」と呼ばれる穴があり、父の話によれば、そこに海水をためて塩を作ったこともあったそうだ。『火垂るの墓』で海水を瓶に汲む場面を見たとき、父の話と重なった。
井戸も二つあった。一つは飲用や米を研ぐために、もう一つは風呂用に。子どもの頃は、その井戸水を薪で沸かした風呂に入っていた。薪は定年退職した祖父が山から集めてきたものだ。
今では、ガスも水道も電気も揃っている。ボタンひとつでお湯が出て、風呂に入れる。暑ければエアコンを押せば部屋は涼しくなる。
けれど、ふと思う。こうした生活は本当に「当たり前」なのだろうか。戦争や地震でライフラインが途絶えたら、私たちの暮らしはどうなるのだろう。そんな不安を抱きながら、私は今日もエアコンの効いた部屋で、この文章を打っている。
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