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4月, 2025の投稿を表示しています

20250424/千光寺など

 昨日の雨が嘘のように晴れた。千光寺のオタマジャクシを見に行こうと思った。大水の谷戸のどんずまりに急な階段がある。昔、谷戸と呼ばれていたところは、ほとんど階段が作ってある。登り切ってまっすぐ行くと千光寺がある。左に下ると六浦の駅なのでだいぶ距離はある。門前の池には、残念ながらオタマジャクシはいなかった。せっかく来たので、猫塚などを見ていこうと思った。法然の浄土宗なので南無阿弥陀仏の石碑が多い。丸に三つ引きの家紋が彫ってあった。これは三浦氏や和田氏の家紋だ。本堂の横に針供養の石碑があった。裏を見たら相川藤兵衛の建立であった。どんな関係があるのだろう。 ここは、照手姫ゆかりの寺だが、話の中で、照手姫は2回念仏を唱えることで命が救われている。油堤に投げ込まれた時と、野島で松の葉でいぶされた時だ。観音様にお祈りして助かったことになっている。まさに法然の 専修念仏(せんじゅねんぶつ)のおかげだ。念仏を唱えることで助かったという話は、いろいろなところに出てくる。 朝比奈の農園の方に歩いていたら小さな花壇があった。昔、この近くの山に咲いていたエビネなどが植えてあった。 農園を見た後に、小池さんの家の前の旧道を通ったら、川にモクズガニがいた。珍しい。上海ガニの仲間なので食べたらうまいと思われる。

20250423/国立科学博物館「特別展 古代DNA」

 狙い撃ちされたように朝から生憎の雨。「楽しみにしているイベントはいつも雨」マーフィーの法則というのがあった。「洗車をすると雨が降る」「急いでいる時に限って赤信号にひっかっかる」こういうことは、枚挙にいとまがない。 今日は、午前中に東京ビッグサイトで開催している情報セキュリティEXPOに行って、午後から上野の国立科学博物館の特別展古代DNAを見に行くことにした。情報セキュリティEXPOでディープフェイクのデモを見た。本物と区別ができない動画を作って、それに詐欺をやらせるということが流行りつつあるということであった。それを見破るために、またAIの技術をつかうというイタチごっこが繰り広げられている。しばらくは続くのだろうと思った。スパムメールについては、プロバイダがDMARC (Domain-based Message Authentication, Reporting & Conformance)などの対策を行うことでかなり減らすことができるようになった。世界から戦争が無くならないように、サイバー犯罪もなくならないものと思われる。 午後から雨の中、上野に移動した。いつも食べていた中華料理屋が25日まで工事中で入れなかった。他の店を探したが焼肉屋ばかりで困った。こんな時は、日高屋しかない。ニラレバ炒め定食を食べた。どこでも全く同じ味なので安心感がある。 国立科学博物館は、高校生と外国人であふれかえっていた。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残ったDNAを解読して人類の足跡をたどるという研究だ。ホモサピエンスの起源はアフリカが定説になっているが、DNA解読でさらに明らかになった。日本では、アイヌや沖縄の古代人は縄文人のDNAが多いということが明確になった。今の日本人は縄文人と大陸からのモンゴル系の人との混血で出来上がったことがDNA分析によって証明されていた。頭蓋骨の形も明らかに違っていて、頭の形から私は縄文人のDNAが多いのではないかと思った。犬や猫のDNA分析の結果というのも面白かった。今の猫は平安時代に大陸から入ってきた種のようだ。金沢猫も、かなり古いのかもしれない。

20250422/ 且坐喫茶(しゃざきっさ)

いつもお参りしている東光禅寺で大住職にお菓子をいただいた。「  且坐喫茶(しゃざきっさ)」と書いてあった。 「まあ、座ってゆっくりとお茶をお召し上がりください」という意味の禅語だそうだ。禅寺は、どこもセンスが良い。お金をかけずにゆったりとした時間を過ごせるというのもお寺の良いところ。街からお寺がなくなったら、ずいぶん味気ないものになるだろうな。金沢区はお寺が多いからありがたい。 何年か前に東光禅寺の本堂の前の400年も建つ梅の木が枯れた。毎年、花を楽しみにしていたのだが、枯れてしまってがっかりした。枯れた木は倒れる危険があるので、撤去したのだが、木の根元に小さな芽が出ていた。それを住職が掘り出して裏の竹やぶに植えておいた。その梅が根付いて育っている。その話で盛り上がった。 歩いていたら白と紫のタツナミソウが咲いていた。小さい花だが北斎の波を思い出させるようなかわいい花だ。 昼は、中華料理のバーミヤンで娘や孫たちと食事した。食べた気がしなかった。そのあと野島で孫を遊ばせて自転車で帰った。今日もひどい風だった。 途中、八景の泥牛庵に寄ってみた。当然、桜は散っていたが、案内板におもしろい情報があった。小山若犬丸の二人の子供を祀ってあった六浦地蔵尊が泥牛庵の末寺だったそうだ。大道に泥牛橋という橋があるが、泥牛庵の領地があったらしい。 1380(天授6)年に下野国(しもつけのくに・栃木県)の守護であった小山義政が、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏満に起こした反乱で小山若犬丸(小山隆政)の息子の7歳の宮犬丸と5歳の久犬丸が坂東武者の芦名詮盛(あしなあきもり)によって捕えられて小山氏の嫡流を絶つために、武蔵国の六浦湊の沖に生きたまま籠に入れられて海に沈められたという悲しい話が伝わっている。そのお墓が六浦の高台に残っている。 https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2021/03/10/wakainumaru/

20250421/釜利谷を歩く

 暖かくなった。いつもと逆のコースで釜利谷を歩いてみた。大道東橋からダラダラ坂を上って道路工事をしているあたりを下る。白山道のトンネルを超えると畠山六郎重保の墓がある。板東武者の鑑と言われていた畠山重忠の息子である。 重保は、この地に逃れて自刃したという伝承があるが、六郎橋という名前が残っているので、生き延びてしばらくこの付近に住んでいたのではないかと私は考えている。 この辺りには、 「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」の太田道灌の山吹の里の伝承もある。 退屈な車道をずっと歩くと宮川のほとりに手子神社がある。ここも伊丹氏の創始で、境内に竹生島弁財天社がある。もともとは海側にあったが、海軍が現在の山側に移した。やぐらに人面蛇体の宇賀神が祀られていて、いつも卵が奉納されている。 宇賀神は、お金儲けの神様で、鎌倉の 銭洗財弁天も宇賀神を祀っている。 手子神社の狛犬がほほえましい。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の姿だが、今やったらパワハラと言われそうである。 手子神社の前を流れる宮川にはクロダイが泳いでいた。噂によると温暖化の影響で川を上ってきているのだという。侍従川にもたくさん泳いでいる。野島の海苔が食害にあっているという話を聞いたことがある。刺身にしたらうまそうなクロダイだ。 宮川の上流は、釜利谷町小川アメニティとして整備されている。団地に隣接する水路が、親水性あふれるプロムナードとなっている。人工的な水路だが、アメンボや小エビ、カワニナなども増えており住民の憩いの場になっている。途中に田んぼや蓮田も作られており昔の釜利谷の原風景を見ることができる。 小川の終着点あたりを右に曲がると禅林寺がある。静かな良いお寺だ。このお寺は、道元の曹洞宗。禅寺というものはこのようなものかもしれない。たぶん、浄土真宗とは違うと思う。 帰りに、東光禅寺に寄って、畠山重忠の親父の畠山重忠の供養塔の写真を撮った。畠山重忠の奥さんは、板東武者の三浦義明の娘だ。その義明を討ったのが畠山重忠と言われている。三浦義明は、その時89歳。義理の父親で、そんな老人を殺したとは思えない。自然に静かに息を引き取ったのではないかと私は考えたい。亡くなる前に義理の息子の畠山重忠に板東武者とは何たるかを伝えたのではないか。頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑...

20250420/龍華寺から野島サイクリング

 すごい風が吹いていた。春一番かもしれない。これからどんどん暖かくなっていくのだろう。今日は、妻と自転車で牡丹を見に行った。 その前に腹ごしらえ。日高屋で定番のニラレバ炒め定食を食べた。いつ食べてもうまい。どの店でも全く同じ味がする。品質管理がしっかりしているのだろう。タッチパネルの注文も慣れてきた。便利だ。 最初は龍華寺に行ったが、風が強いので傘がすべて取り外されていた。黄色の牡丹と藤の花がきれいだった。 そのあと、旧伊藤博文金沢別邸に行った。自転車は便利だ。 伊藤博文が松本房治氏に送った金屏風というものが展示されていた。博文は蓮の花が好きだったようだ。「菊の花は隠逸(質素で控えめ)なるもの、牡丹の花は富貴(富も名誉もある)なるもの、蓮の花は君子(優れて品位がある)たるもの」と言っている。蓮は泥の中から芽を出して美しい花を咲かせる仏教でも最も好まれる花だ。仏陀も好きだった。当然、それを知っていたのだろう。 ここで妻と離れて単独行動となった。はじめは、野島の掩体壕(えんたいごう)という戦争遺跡を見学した。1945(昭和20)年3月15日から6月30日にかけて掘られた横穴だそうだ。長さ260メートル、幅20メートル、高さ7メートルの巨大なトンネルだ。小型の飛行機を100機収納する予定だったそうだ。3か月でこれだけの工事をしたとは、人間業とは思えない。できたころには戦争が終わっていたのだから、まさに「骨折り損のくたびれもうけ」「焼け石に水」だったわけだ。戦争なんてバカなことはやらないことだ。 しばらく行くと野島稲荷神社があった。昔、ここで肝試しをやったことがあった。首なし死体が見つかったなどの噂があった場所で夜は怖かった。狐の石像がたくさん奉納されていた。野島漁港が近くにあるので、漁の安全を祈願する神社だったのだろう。近くに塩風呂という所があったらしい。そこを守る鬼門にあるということだ。鎌倉時代の建立ということだった。 風が強くなってきたので速攻で帰宅した。