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20250611/Windowsパソコン

  DellのノートPCを買って2か月が過ぎたが、すでに2回のトラブルに遭っている。はじめは、印刷できないというトラブル。プリントドライバを消して、もう一度インストールしたら直った。もう一つは、外部ディスプレイがつながらなくなったという障害。これもディスプレイドライバを再インストールして直った。しばらくすると、また映らない。今度はディスプレイケーブルを抜き差しして直った。全て原因は不明。だれも、解明できなくなっているのではないかと思った。Macを何十年も使っているが、こんなトラブルに出会ったことはない。Windowsというのは手間がかかるOSだと実感した。ビルゲイツにクレームを入れたいが、直ったのだから良しとしよう。
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20250516/ようやく風邪が退散

 4月26日、辻堂のお寺で会合があって食事をした帰りに喉に違和感を感じた。食事している時は、ハンバーグは美味しかったし気分も良かった。次の日になると、咳が出て鼻水も激しくなった。いつも血圧の薬をもらっている内科の先生に診てもらって薬を出してもらった。1週間くらい飲んでいたが一向に良くならない。かえって咳が激しくなって夜も眠れない。 しかたなく、耳鼻科に行くことにした。耳鼻科では、山ほど薬を出してくれた。内科に行っても治らない、と話したら、餅は餅屋、うちは血圧は下げられないが、風邪だったら任せておきなさいと言われた。耳鼻科の薬はよく効いた。何日かするとすっかり良くなり食欲も出てきた。さすが耳鼻科だと思った。晩酌ができるくらい回復したので、いったん薬をやめた。 これで治るのかなと思ったが、数日して、ぶり化した。体がだるい、食欲なし、胸がゼイゼイ。それからが長かった。この状態が1週間以上続いた。このようなときは体の恒常性がすべておかしくなる。肺をやられているので酸素の供給ができない、食欲がない、小便大便が出にくい。 体が悪いと精神にも影響が出る。何もやる気がしない、日記も書く気が起こらない。耳鼻科でもらった薬を飲み切った頃に良くなってきた。まず、胸のゼイゼイがなくなった。お通じが回復した。食欲も出てきた。散歩にも行く気力が出てきた。散歩で草花に励まされながら日記が書けるようになった。 今回の教訓は、一人の医者がすべての病気を治せる訳ではない、得意不得意があるということ。治ったと思っても油断してはいけない、完全に治るまで医者の言われた通り薬を飲み切ること。治ろうとする気持ちを持つこと、病は気からという諺があるがそれである。 草花は春夏秋冬を通して元気にしているが、暑さ寒さ、日照りや害虫の攻撃など、生きるために彼らなりに努力しているのではないか。人の体も自然の一部ということは、漢方の先生に教えてもらった。生物の生命維持や健康を維持するためには人知れず努力が必要だなあと思った。元気付けてくれた道端の草花たちに感謝である。

20250424/千光寺など

 昨日の雨が嘘のように晴れた。千光寺のオタマジャクシを見に行こうと思った。大水の谷戸のどんずまりに急な階段がある。昔、谷戸と呼ばれていたところは、ほとんど階段が作ってある。登り切ってまっすぐ行くと千光寺がある。左に下ると六浦の駅なのでだいぶ距離はある。門前の池には、残念ながらオタマジャクシはいなかった。せっかく来たので、猫塚などを見ていこうと思った。法然の浄土宗なので南無阿弥陀仏の石碑が多い。丸に三つ引きの家紋が彫ってあった。これは三浦氏や和田氏の家紋だ。本堂の横に針供養の石碑があった。裏を見たら相川藤兵衛の建立であった。どんな関係があるのだろう。 ここは、照手姫ゆかりの寺だが、話の中で、照手姫は2回念仏を唱えることで命が救われている。油堤に投げ込まれた時と、野島で松の葉でいぶされた時だ。観音様にお祈りして助かったことになっている。まさに法然の 専修念仏(せんじゅねんぶつ)のおかげだ。念仏を唱えることで助かったという話は、いろいろなところに出てくる。 朝比奈の農園の方に歩いていたら小さな花壇があった。昔、この近くの山に咲いていたエビネなどが植えてあった。 農園を見た後に、小池さんの家の前の旧道を通ったら、川にモクズガニがいた。珍しい。上海ガニの仲間なので食べたらうまいと思われる。

20250423/国立科学博物館「特別展 古代DNA」

 狙い撃ちされたように朝から生憎の雨。「楽しみにしているイベントはいつも雨」マーフィーの法則というのがあった。「洗車をすると雨が降る」「急いでいる時に限って赤信号にひっかっかる」こういうことは、枚挙にいとまがない。 今日は、午前中に東京ビッグサイトで開催している情報セキュリティEXPOに行って、午後から上野の国立科学博物館の特別展古代DNAを見に行くことにした。情報セキュリティEXPOでディープフェイクのデモを見た。本物と区別ができない動画を作って、それに詐欺をやらせるということが流行りつつあるということであった。それを見破るために、またAIの技術をつかうというイタチごっこが繰り広げられている。しばらくは続くのだろうと思った。スパムメールについては、プロバイダがDMARC (Domain-based Message Authentication, Reporting & Conformance)などの対策を行うことでかなり減らすことができるようになった。世界から戦争が無くならないように、サイバー犯罪もなくならないものと思われる。 午後から雨の中、上野に移動した。いつも食べていた中華料理屋が25日まで工事中で入れなかった。他の店を探したが焼肉屋ばかりで困った。こんな時は、日高屋しかない。ニラレバ炒め定食を食べた。どこでも全く同じ味なので安心感がある。 国立科学博物館は、高校生と外国人であふれかえっていた。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残ったDNAを解読して人類の足跡をたどるという研究だ。ホモサピエンスの起源はアフリカが定説になっているが、DNA解読でさらに明らかになった。日本では、アイヌや沖縄の古代人は縄文人のDNAが多いということが明確になった。今の日本人は縄文人と大陸からのモンゴル系の人との混血で出来上がったことがDNA分析によって証明されていた。頭蓋骨の形も明らかに違っていて、頭の形から私は縄文人のDNAが多いのではないかと思った。犬や猫のDNA分析の結果というのも面白かった。今の猫は平安時代に大陸から入ってきた種のようだ。金沢猫も、かなり古いのかもしれない。

20250422/ 且坐喫茶(しゃざきっさ)

いつもお参りしている東光禅寺で大住職にお菓子をいただいた。「  且坐喫茶(しゃざきっさ)」と書いてあった。 「まあ、座ってゆっくりとお茶をお召し上がりください」という意味の禅語だそうだ。禅寺は、どこもセンスが良い。お金をかけずにゆったりとした時間を過ごせるというのもお寺の良いところ。街からお寺がなくなったら、ずいぶん味気ないものになるだろうな。金沢区はお寺が多いからありがたい。 何年か前に東光禅寺の本堂の前の400年も建つ梅の木が枯れた。毎年、花を楽しみにしていたのだが、枯れてしまってがっかりした。枯れた木は倒れる危険があるので、撤去したのだが、木の根元に小さな芽が出ていた。それを住職が掘り出して裏の竹やぶに植えておいた。その梅が根付いて育っている。その話で盛り上がった。 歩いていたら白と紫のタツナミソウが咲いていた。小さい花だが北斎の波を思い出させるようなかわいい花だ。 昼は、中華料理のバーミヤンで娘や孫たちと食事した。食べた気がしなかった。そのあと野島で孫を遊ばせて自転車で帰った。今日もひどい風だった。 途中、八景の泥牛庵に寄ってみた。当然、桜は散っていたが、案内板におもしろい情報があった。小山若犬丸の二人の子供を祀ってあった六浦地蔵尊が泥牛庵の末寺だったそうだ。大道に泥牛橋という橋があるが、泥牛庵の領地があったらしい。 1380(天授6)年に下野国(しもつけのくに・栃木県)の守護であった小山義政が、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏満に起こした反乱で小山若犬丸(小山隆政)の息子の7歳の宮犬丸と5歳の久犬丸が坂東武者の芦名詮盛(あしなあきもり)によって捕えられて小山氏の嫡流を絶つために、武蔵国の六浦湊の沖に生きたまま籠に入れられて海に沈められたという悲しい話が伝わっている。そのお墓が六浦の高台に残っている。 https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2021/03/10/wakainumaru/

20250421/釜利谷を歩く

 暖かくなった。いつもと逆のコースで釜利谷を歩いてみた。大道東橋からダラダラ坂を上って道路工事をしているあたりを下る。白山道のトンネルを超えると畠山六郎重保の墓がある。板東武者の鑑と言われていた畠山重忠の息子である。 重保は、この地に逃れて自刃したという伝承があるが、六郎橋という名前が残っているので、生き延びてしばらくこの付近に住んでいたのではないかと私は考えている。 この辺りには、 「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」の太田道灌の山吹の里の伝承もある。 退屈な車道をずっと歩くと宮川のほとりに手子神社がある。ここも伊丹氏の創始で、境内に竹生島弁財天社がある。もともとは海側にあったが、海軍が現在の山側に移した。やぐらに人面蛇体の宇賀神が祀られていて、いつも卵が奉納されている。 宇賀神は、お金儲けの神様で、鎌倉の 銭洗財弁天も宇賀神を祀っている。 手子神社の狛犬がほほえましい。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の姿だが、今やったらパワハラと言われそうである。 手子神社の前を流れる宮川にはクロダイが泳いでいた。噂によると温暖化の影響で川を上ってきているのだという。侍従川にもたくさん泳いでいる。野島の海苔が食害にあっているという話を聞いたことがある。刺身にしたらうまそうなクロダイだ。 宮川の上流は、釜利谷町小川アメニティとして整備されている。団地に隣接する水路が、親水性あふれるプロムナードとなっている。人工的な水路だが、アメンボや小エビ、カワニナなども増えており住民の憩いの場になっている。途中に田んぼや蓮田も作られており昔の釜利谷の原風景を見ることができる。 小川の終着点あたりを右に曲がると禅林寺がある。静かな良いお寺だ。このお寺は、道元の曹洞宗。禅寺というものはこのようなものかもしれない。たぶん、浄土真宗とは違うと思う。 帰りに、東光禅寺に寄って、畠山重忠の親父の畠山重忠の供養塔の写真を撮った。畠山重忠の奥さんは、板東武者の三浦義明の娘だ。その義明を討ったのが畠山重忠と言われている。三浦義明は、その時89歳。義理の父親で、そんな老人を殺したとは思えない。自然に静かに息を引き取ったのではないかと私は考えたい。亡くなる前に義理の息子の畠山重忠に板東武者とは何たるかを伝えたのではないか。頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑...