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▶二度目の風邪

 

7月24日、木曜日はハードカバーの本がブックオフでは半額になるので良く本棚を覗いている。本庶佑(ほんじょたすく)さんの「いのちとは何か」という本を買った。ノーベル賞をもらう前に出された本で、その後に増刷されたものだ。たまに、このような掘り出し物が見つかることがある。街の書店では決して出会えなかった本だ。

家に帰って喉に違和感を覚えた。少しヒリヒリする。ブックオフでうつったかな、と思ったが、潜伏期間をかんがえると考えにくい。これから一週間以内に法事などのイベントが立て続けにあるので早く治さなければならない。

家の近くの耳鼻科に行って薬をもらったが、日増しに喉の痛みが増してくる。熱もあるようだ。仕方なく、少し遠いが本命の病院に行くことにした。マイナ保険証を顔認証で入力して診断を受けた。喉がかなり腫れているということで薬をたくさんもらった。調剤薬局に行くと、ここでもマイナ保険証の顔認証だ。病院でやったので、もう良いのではないかと思ったが、操作が簡単なので言われた通りにした。顔認証は、精度も上がってかなり受け入れられているようだ。80歳を超したようなお年寄りも普通に使っていた。これがなかったらマイナンバーはこんなに普及しなかったのかもしれない。

薬をもらうために薬剤師の説明を受けた。その時、あなたは高血圧で薬を飲んでいますね、と言われた。お薬手帳を作っていないのに何でそれを知っているのか疑問に思った。聞いてみたら、マイナ保険証で確認したということだった。マイナ保険証の装置を使っている病院がデータを入力していればこのような情報が共有できるのだという。これがあるのなら、お薬手帳なんていらないのではないですか、というと笑っていた。

今まで、マイナンバーカードの恩恵を受けたことはなかったが、今回、初めてその便利さを知った。情報化社会と言われだしてだいぶ経つが、こういうことなのかと思った。情報が共有されるということは確かに便利だが、ブライべーとが丸裸にされているように感じた。

「イオンの地下の食品売り場で一番搾りを2缶買いましたね。つまみを買い忘れているようなので、あなたが好きな、特売のイカの一夜干しを買ったらどうでしょう」と受付の顔認証機能付きのロボットに言われるような世の中になるのかもしれない。何も言わなくても相手が自分のことを何でも知っている世界。確かに便利そうだが、これが悪用されたらと思うと少し怖くなった。

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20250418/白山道を歩く

  高宗の谷戸を進むと高舟台に上る石段がある。足腰を鍛えるにはちょうど良い。登りきると高舟台小学校の裏門に出る。子どもたちが集団登校している。下って東光禅寺に寄るのが定番の早朝散歩コース。東光禅寺は、板東武者の畠山重忠が開いたお寺で供養塔がある。そこの和尚さんは、海外留学の経験があり英語が話せるのでZoomで世界に向けてオンライン座禅などをやっている。庭で四季折々の花が楽しめる。庭で和尚さんが雑草の写真を撮っていた。花を付けた雑草は貴重だという。雑草は採ってきて鉢に植えてもすぐに枯れてしまうのだそうだ。人為を嫌って好きなところで自由に生きたいと考えているのだそうだ。 お寺の前にア・トリエ 麦卵というのぼりが出ていた。 最初は陶芸などの工房だと思っていたが、お菓子屋さんだった。開店が10時半なのでまだ時間があるので、近くの白山神社に行った。小さな神社だが、掃除が行き届いていて立派な仏像もある。ベンチで本を読んで時間をつぶすことにした。今読んでいる本は、「サピエンス全史」下巻の半分くらいにさしかかっているところ。帝国主義と近代科学技術によって世界の勢力地図が出来上がったというようなことが書いてあった。イギリスやスペインなどの列強は科学技術を使って謎を解きながら植民地支配を広げていったのだそうだ。確かに古代文明を調査したのは、ほとんどが欧州の人たちだ。ロゼッタストーンを使ってヒエログリフや楔形文字を解読したのも欧州の人だ。 ア・トリエ 麦卵は、 店名の通り、麦と卵で作ったふわふわのシフォンケーキを売っている。舌触りのいいプリンもある。少し歯ごたえのあるスコーンというイギリスのお菓子は、紅茶と一緒に食べるそうだ。試食させていただいたがおいしい。私と同年代くらいの女性が店番をしていて息子さんが作っているらしい。 民家のようなお店なので分かりにくいが開店している時はのぼりが出ているのでそれを目当てに行けばいい。人なつこい猫ちゃんが出迎えてくれる。営業は、金・土・日の3日間。10:30~16:00とあまり商売っ気がない。

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20220424落ち葉と良寛

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