禅林寺を再興した伊丹氏一族は、江戸の浅草寺の別當(寺の職務を統括・監督する地位のもの)を任されており、坂本村が紅葉山東照宮領となったため、伊丹氏の菩提寺の禅林寺に東照大権現(徳川家康)の御神影が与えられました。毎年、家康公の命日の4月17日に一般公開されるとお聞きしましたので拝観させていただきました。250年も前のものとは思えないほど美しい肖像画でした。明治以前は、坂本村の住民だけに公開していたそうです。今はどなたでもご覧いただけます。
隣の和室に行きましたら、窓の外にきれいなお庭が見えました。床の間には小泉(こずみ)の弁天様が置いてありました。手子神社の竹生島弁財天に祭られていたものだそうです。竹生島弁財天は、神社の東側にあったのですが、昭和15年に海軍の施設建設のために現在地に移されたのだそうです。現在は、宇賀神(うがじん)」という人頭蛇身の神様が祭られています。
本堂の彫刻は、後藤利兵衛によるものだそうです。狛犬、象、天女などが彫られていました。後藤利兵衛は1815(文化12)年、安房(あわ)国朝夷(あさい)郡北朝夷村(現在の千葉県千倉町北朝夷)の生まれ。幼名は「若松」。父親は、山口弥兵衛といい大工を生業にしていました。幼少の頃から大工道具が身近にあり遊び道具に使っていたくらい道具に親しんでいたそうです。
後藤利兵衛は、14歳のころには地元の愛宕神社に残されている大黒天像などを彫り、すでに彫刻師としての頭角を現していました。1837(天保8年)年、23歳の時に江戸は京橋の彫刻師、後藤三次郎恒俊の弟子となり、恒俊が鴨川市の安房の誕生寺を訪れた際に門弟になりました。その後、師匠の後藤姓をもらい「後藤利兵衛光定」を名乗りました。後に「後藤利兵衛義光」に改名。1902(明治35)年に88歳で亡くなりました。
後藤利兵衛は、一時期、鎌倉にも住んでいたそうです。金沢に残っている彫刻も多く、大道の屋台や西叶神社の彫刻、須崎神社の黄金の獅子頭なども彫っています。
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