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4月, 2022の投稿を表示しています

20220424日曜美術館

 今日(4月24日)の日曜美術館は「ウクライナ激動の歴史 謎の遊牧民族 黄金の至宝 中世の華麗な大聖堂 ▽民族が重なり生まれた文化の記憶をたどる」という、いつもとは趣が異なる内容でした。芸術を愛する人は、暴力で物事を解決しようとはしない、文字なり絵画や彫刻なりで語り合うものだ。また、ロシアの芸術家に洗脳から目を覚ませ、ということも訴えていました。最後に、ユネスコ憲章の前文の紹介がありました。 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 That since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defences of peace must be constructed. https://www.unesco.or.jp/hiroshima/text/UNESCO%20Constitution.pdf たいへん良い番組でした。芸術の使命とは何かがよく分かる番組でした。この番組を作ったNHKのスタッフのみなさんに感謝します。

20220424落ち葉と良寛

 散歩していると、道を掃除している人に良く会う。例外なく高齢者である。秋の落ち葉の頃、春の桜が終わった頃に道が葉っぱや花びらで散らかされる。掃除をしている人は、年期が入っているので無駄なくさっさとチリトリに入れていく。「風が吹いてきて、掃いてもきりがないですね」と言うとみな同意する。 こんな時に「掃くほどに 風がもてくる 落ち葉かな」という句が脳裏をかすめていた。確か良寛だったかなと思っていた。掃いても掃いても落ち葉が落ちてくる、イヤだなと思っていた。ある時、その句を調べてみると確かに良寛だが思い違いだったことを知り赤面した。 良寛の正しい句は「炊くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」というもの。一人五合庵で暮らすためのご飯を炊くくらいの落ち葉は、 風が運んでくれる。これで十分間に合う、ありがたいことだ、という意味だった。 この山の中での暮らしは乏しくとも心は満ち足りたものだよ。これを知って少しは落ち葉掃除も嫌でなくなった。 「炊くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」良寛

20220424秋田犬に出会った話

午後から雨だという。朝のうちに散歩にでかけた。大水の谷戸のどん詰まりまで行くと小さな階段がある。ほとんどの谷戸には、地図には出ていない近くに住んでいる人だけが使っている小さな道がある。そこを登ると東朝比奈に通じている。真っ直ぐ行くと千光寺に行ける。池のカエルの卵はどうなったか見に行った。数週間前に真っ黒におたまじゃくしがかえっていたが、それがずいぶん大きく育っていた。でも数えられるくらいの数になってしまっていた。自然は厳しい。いつものように猫塚にお参りした。猫塚とは、昔、六浦湊に着いた唐船に乗っていた猫を弔った塚である。八百年も前の話である。 門を出て坂を降ると右手にキレイに整備された公園がある。そこに、幼稚園の幼児を乗せるような手押し車が置いてあった。なんでここにあるのだろうと訝しく思っていると、少し先の草むらに立派な秋田犬が男性に手綱を持たれて座っていた。傍らに奥さんらしき人が立っていた。立派な秋田犬である。見ていると、その大きな犬を、二人で手押し車に乗せ始めた。近づいて、良い秋田犬ですね。と言うと、「この犬は骨肉腫で歩けないんです」と返ってきた。見ると左前足が無かった。右の後ろ足も義足のようなものをはめていた。「もう13年も育てている老犬なんです」人間だったら九十歳近い年齢である。「こんなに大事に育てれれている犬は幸せですね」と言うと「そう言っていただけると嬉しいです」 このご夫婦は、これからも、この秋田犬の面倒をずっと見ていくのだろう。犬との散歩は生活の一部で家族の一員になっているのだろう。犬畜生という言葉があるが、ここでは全くそぐわない。文明が進んで、いつの日か人間が犬の言葉を理解する日が来たら、この秋田犬はご夫婦に「ありがとう」と言うに違いない。